Tag : 日中戦争
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日本が中国侵略の時に出版した中国現状資源分布図

各地の資源、物産を標記してある。
注意すべきなのは、共産党根拠地を単独に列挙したことだ。
出版社は東洋協会調査部。





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日本と中国、二度と戦争しないことを誓っていた・・・

日本の京都府西京区嵐山大堰川嵐山公園にある「日中不再戦の碑」の写真だ。





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君の故郷は日本軍に侵略された?

私が生まれ育った陝西省は日本に侵略されたことがない。
だが先祖の故郷の山東省は日本に侵略された。
みんなはどこの人か?
故郷は日本に侵略された?





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抗日戦争の中国空軍は割と頑張っていた!

八年の抗日戦争で中国空軍は1543機の日本戦闘機を撃墜し、330機を破損させた。爆撃、追撃、偵察、運送などを目的とした出動は18500機で、空戦での出動は4027機だった。どうやってこのような優秀な成績を残したのか?

1937年8月淞沪での戦争前に、日本軍は戦争に使える航空機は約2300機、用意していた戦闘機は約280機だ。その反対に中国の空軍を見ると、全部合わせて約600機、日本の七分の一にも及ばない。

戦争が始まって3ヶ月間、中国空軍は援助のない状況で、日本の戦闘機30機を撃墜し、パイロット327人を仕留めた。だが、中国空軍の残りの戦闘機はわずか30機だけだった。

1936年からソ連は中国に志願航空隊を援助する動きを見せていて、1937年10月から、1938年末までに、ソ連戦闘機471機が蘭州へ到着した。また1940年、ソ連はI-16(ポリカルポフ)戦闘機150機、Il-4(イリューシン4)爆撃機20機、Ar-2(アルハーンゲリスキイ2)急降下爆撃機30機を援助した。1940年に至る前は、中国の戦闘機は49機のみ。日本には960機以上の航空兵力があった。

日本側の分析は客観的だった。
二つの時期を対比した、日本が記した戦争の状況。

1942年7月から、中国に存在した航空機はますます活躍した。7月1日、9機のB-25爆撃機が九江と漢口を襲った。2日、3日も3機のB-25爆撃機が漢口の海軍を襲った。3日はまた5機のB- 25爆撃機、4機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。6日自雲空港を襲った。9日また2機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。

戦争の末期、中国空軍が制空権を得たのは、上記の通りアメリカのおかげだ。1945年1月、中国にいたアメリカ軍は32956人で、その内23960人が空軍兵だ。その後、毎月空軍の人数は増えていった。8月15日戦争が終結時、中国にいたアメリカ軍は60369人、空軍34726人。

参考資料
李玉贞『抗日戦争における中国の航空戦力』
王跃如『太平洋戦争、空軍における米中協力』





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今の日本人はもうほぼ戦後生まれだから、彼らに昔の侵華戦争の責任は一切ない

こういう背景で、毎日「復讐しよう」と言い出してる人たちは一体どう思っているのか、さっぱりわからない。
抗日戦士の実績を否定したいのか?
戦後生まれの日本人たちに復讐したいのか?





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国民党って抗日戦争で何か貢献したのか?

あんなに多くの兵力で何の役にも立たなかったようだが。





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日本軍が中国を侵略してる写真

これは中国を侵略する日本軍兵士個人が撮っていた古い写真だ。
侵略戦争時期の日軍の偽りない姿を収めたものである。





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宮川英男、抗日英雄の中で唯一の侵略日本軍出身。自決した後に遺体も奪われた

宮川英男(1918~1945)日本国籍。中卒で1931年に日本軍に入隊。1941年7月に中国共産党軍の捕虜となり、教育を受けて共産党に加入。

1943年、日本共産党の岡野進(野坂参三)が指導する駐延安「反戦同盟会」が山東省長清県で工作を行う。「津浦鉄路対日軍工作隊」の主要メンバーである。その任務は日本軍を瓦解させるための宣伝材料をそろえることだった。





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中国侵略で焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす「三光作戦」を提案した岡村寧次

1941年7月10日、日本軍河北部隊の司令官である多田駿が日本軍事参議官となり、岡村寧次が続いて軍司令官になった。
彼は就任後封鎖するための溝を掘り、高い壁を建て、要塞政策の強化および大「掃討」の中で、焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くすという「三光作戦」を実行した。





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ある日本人が父親が撮影した古い中国侵略の写真を発見。父親の黒歴史を暴露

ある日本のネット民が一冊のアルバムを発見して驚愕した。「1937年12月南京」と書かれていたのだ。彼は父親が戦争に参加したことを知っていた。中国へ行き、退役後には兵器工場で働き、熟練の技から太平洋の戦場には行かず、技工として生涯を終えたのだ。

だが彼は父親が南京に行ったことがあるのを知らなかった。妻や子供に南京で起きたことを語らなかったのだ。おそらく残忍すぎる悪行だったからだろう。南京の経験は黒歴史として隠し通していたのだ。もし写真が好きでなかったなら、子供たちは父親の真実の姿を知ることはなかっただろう。





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主に中国本土の掲示板やニュースポータルから日本に関連する書き込みを翻訳してまとめています。

5/11
どうにも検索的によろしくないみたいなので、タイトルスタイル変更
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