Tag : 日中戦争
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なぜ抗日戦争は8年もかかったのか?

抗日戦争の歴史を振り返ると、「なぜ抗日戦争は8年もかかって勝利したのか」と問う人が少なくない。
20数年前のテレビドラマの登場人物が言うには、「売国奴が多かったからだ」と。
確かに売国奴が多かった。
抗日武装部隊の中だけで120万、日本が投降したときには146万、警察に40万、満州国軍が14万、満州警察が10万、300万以上の売国奴がいた。
国民政府が任命した管理職にも、売国奴がいた。
中華民族の恥の歴史である。

世界各国で、民族を裏切る者がいる。
これは普遍の真理である。
裏切る原因は、社会や政治と密接な関係がある。
そしてまた、国民性とも関係がある。
筆者は売国奴が出る原因は下記の3つの原因があると思っている。

1 失敗続きの民族への影響。
アヘン戦争ののち100年あまり、中国人は列強国の侵略に対抗してきた。
何度も失敗し、たくさんの人が自信を失った。
日本が中国侵略を始めたとき、たくさんの中国人、特に官僚や知識人は日本には敵わない、犠牲を払っても勝つことはできない、日本へ投降したほうがいいと思っていた。
売国奴はこういう人たちの中から生まれた。

2 内部矛盾により心が離れていった。
日本は外に目を向けたが、中国は逆に国内での内紛が中国政治の常だった。
外から敵がやってきても、それに対応することは難しく、中国人はいつも内紛に忙しかった。

3 民族の性格が脆く奴隷根性があった。
数千年来、中国経済はずっと小農経済だった。
これは遷移型の遊牧経済でも、外向型の商業経済でもなく、土地を耕し、自給自足生活をするものである。
このような文化の中で、中国人の性格に強さがなくなり、さらに皇帝による高圧政治が行われるようになったため、従順な奴隷民ができあがった。

しかし、中国の歴史を見ると、中国人はとても勇敢である。
売国奴の中国人は、中国人の中では少数である。
でなければ私たちは抗日戦争ができなかったであろうし、数千年の歴史を伝承して来れなかっただろう。




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これが本当の日本鬼子だ。抗日ドラマに騙されるな

よく抗日神ドラマでバカにされる旧日本軍だが、本当の彼らはとても強かった。




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日本と中国が開戦すれば日本が勝つと思ってる奴は頭おかしい

今もまだ「中日が開戦すれば日本が勝つ」と考える頭のおかしい奴は、基本的に日本への認識が「日本人は全民皆兵をやれる」「日本人は一億総玉砕ができる」という前世紀3、40年代のレベルで止まっている人だ!

2011年が日本への認識の大きな分水嶺となった1年だろう!
1894年以前の認識は「日本人は全民皆兵をやれる」「日本人は一億総玉砕ができる」といった類のイメージだった!
1894-1945年にこの認識は現実のものとなった!
1945-2011年にこの認識は後から知った!
2011年以降にそう認識するのは無意識のうちのものだ!
最後の場合が一番悲しい!
一生何の希望も持てないのだ!
そんな人にアドバイスだ。
自殺するか、そうでなければ家から出ろ!




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戦争当時、日本軍は内モンゴルまで占領し、延安まであと一歩のところだった

冬だと黄河は戦車でさえ平気で渡れるほど凍るため、日本軍は黄河を渡り延安を攻略することは簡単だったはずなのに、重慶ばかり空爆し、延安に手を出さなかったのはなぜだろうか?


延安=長征の到着地であり、中国共産党の聖地。日中戦争当時の共産党の拠点。



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村上春樹の父親は中国を侵略した軍人だった

作家の村上春樹さんが「文藝春秋」6月号で亡き父親の従軍体験をつづっている。この中には村上さんの父親が、自分の所属していた部隊が捕虜の中国兵を軍刀で「処刑」したことを打ち明ける描写がある。

村上さんの寄稿が掲載されているのは「文藝春秋」6月号。「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」と題されたエッセイだ。作家として活動していくうちにだんだんと疎遠になってしまった父親のことを、海辺に雌猫を一緒に棄てに行ったエピソードなどを通じて回顧している。

産経新聞によると、村上さんが家族について詳しく語るのは初めて。

この中で、父親の従軍体験について描写がある。村上さんの父親は、仏教の学習を専門とする学校に在籍していたが、1938年、20歳の時に事務手続き上の手違いで徴兵される。そして、軍馬の世話などにあたる輜重(しちょう)兵第十六連隊に配属され、中国の地を踏む。

父親は、当時小学校低学年だった村上さんに一度だけ「処刑」の記憶を明かしている。本人が直接手を下したかどうかは明らかになっていない。

村上さんは父親がこの話をしたことについて『このことだけは、たとえ双方の心に傷となって残ったとしても、何らかの形で、血を分けた息子である僕に言い残し、伝えておかなくてはならないと感じていたのではないか』とつづり、エッセイの最後には、それぞれの歴史を受け継ぐことの大事さに言及している。




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もし日本が中国侵略してなかったら、中国人が最も好きな国になってただろうか?




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日本が中国侵略の時に出版した中国現状資源分布図

各地の資源、物産を標記してある。
注意すべきなのは、共産党根拠地を単独に列挙したことだ。
出版社は東洋協会調査部。




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日本と中国、二度と戦争しないことを誓っていた・・・

日本の京都府西京区嵐山大堰川嵐山公園にある「日中不再戦の碑」の写真だ。




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君の故郷は日本軍に侵略された?

私が生まれ育った陝西省は日本に侵略されたことがない。
だが先祖の故郷の山東省は日本に侵略された。
みんなはどこの人か?
故郷は日本に侵略された?




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抗日戦争の中国空軍は割と頑張っていた!

八年の抗日戦争で中国空軍は1543機の日本戦闘機を撃墜し、330機を破損させた。爆撃、追撃、偵察、運送などを目的とした出動は18500機で、空戦での出動は4027機だった。どうやってこのような優秀な成績を残したのか?

1937年8月淞沪での戦争前に、日本軍は戦争に使える航空機は約2300機、用意していた戦闘機は約280機だ。その反対に中国の空軍を見ると、全部合わせて約600機、日本の七分の一にも及ばない。

戦争が始まって3ヶ月間、中国空軍は援助のない状況で、日本の戦闘機30機を撃墜し、パイロット327人を仕留めた。だが、中国空軍の残りの戦闘機はわずか30機だけだった。

1936年からソ連は中国に志願航空隊を援助する動きを見せていて、1937年10月から、1938年末までに、ソ連戦闘機471機が蘭州へ到着した。また1940年、ソ連はI-16(ポリカルポフ)戦闘機150機、Il-4(イリューシン4)爆撃機20機、Ar-2(アルハーンゲリスキイ2)急降下爆撃機30機を援助した。1940年に至る前は、中国の戦闘機は49機のみ。日本には960機以上の航空兵力があった。

日本側の分析は客観的だった。
二つの時期を対比した、日本が記した戦争の状況。

1942年7月から、中国に存在した航空機はますます活躍した。7月1日、9機のB-25爆撃機が九江と漢口を襲った。2日、3日も3機のB-25爆撃機が漢口の海軍を襲った。3日はまた5機のB- 25爆撃機、4機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。6日自雲空港を襲った。9日また2機のP-40戦闘機が南昌の空港を襲った。

戦争の末期、中国空軍が制空権を得たのは、上記の通りアメリカのおかげだ。1945年1月、中国にいたアメリカ軍は32956人で、その内23960人が空軍兵だ。その後、毎月空軍の人数は増えていった。8月15日戦争が終結時、中国にいたアメリカ軍は60369人、空軍34726人。

参考資料
李玉贞『抗日戦争における中国の航空戦力』
王跃如『太平洋戦争、空軍における米中協力』




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