Category : 歴史
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中国と西洋から学んだ日本は最終的に西洋を選択した・・・

古代から日本は中国の儒家思想を千年に渡って学んだが、現代はその思想は残っていない。
そして明治維新頃から数十年ぽっち西洋に学んだら世界レベルの強国になった。

それはなぜか?

西洋思想は視野が広く、進歩のために努力して革新を起こす。
好奇心旺盛で冒険好き、狼の如く勇猛果敢だ。
チャンスに対する嗅覚が非常に鋭く、何事にも恐れずチャレンジする。
一方、儒家思想は保守的すぎて何度も中国を滅亡寸前に追い込んだ。(すでに何度か滅んでるとも言えるが)
我々はこの歴史の教訓にしっかりと向き合う必要がある。




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日本人は祖先が中国人ということを認めてるが、韓国人は絶対に認めたくないようだ

5000年の歴史がある中国と文明を共有する日本と韓国は、古くから自分たちのルーツについて研究してきた。
日本の場合、日本の学者は早くから祖先は中国だと言っていた。




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日本が中国のことを「シナ」と呼び始めた理由と呼ばなくなった理由

清朝の時、日本は中国のことを「清国」と呼んでいた。中華民国になると、日本は中国のことを「シナ(支那)」と呼ぶようになった。これはなぜなのか。

「China」を日本語で発音すると、「シナ」になるからだ。明治維新で、日本は西洋文化を取り入れる際に、中国の呼び方も英語の呼び方に統一しようと言うことで、「シナ」になった。軽蔑的な意味はまったくなかった。

しかし、国民党政府とやりとりするときは、日本は中国のことを「シナ共和国」と呼んでいた。「中国」という言葉は、「中心にある国」という意味なので、中国にはふさわしくないと日本人が判断したからだ。そのため、その時から。「シナ」という呼び方には軽蔑的な意味が含まれるようになった。

ちなみに、当時の日本は自国のことを「日出ずる国」と呼んでいたらしい。よくそんな恥ずかしい呼び方ができたものだ。

「シナ」という呼び方に、国民党政府は我慢することにした。なぜならあの時の中国は弱すぎたからだ。しかし、1930年に、堪忍袋の緒が切れた国民党政府は、二度とその呼び方を使うなと日本政府に通告した。

それに応じ、外交文書ではその呼び方をやめた日本だが、自国ではその呼び方をやめなかった。

戦争で中国に負けた戦後日本からは「シナ」という呼び方が消えた。最初の頃には一部のマスコミで「シナ」が引き続き使われていたが、中国とアメリカの抗議によって、日本政府はついにその呼び方を公式に禁止した。それでも中国のことを見下す日本人は、プライベートでその呼び方を使い続けた。

「シナ」という言葉が本当の意味で死んだのは、朝鮮戦争以降だ。あの強いアメリカを押し返した中国を再び尊敬するようになった日本は、「中国」という呼び方で呼ぶようになった。

戦後生まれの日本人にとって、「シナ」という言葉が見られるのは、辞書の中ぐらいだろう。




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なぜモンゴル帝国の日本侵略は失敗したのか?

もしかして海洋民族>>>騎馬民族なのだろうか?




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日本人の歴史認識が頭おかしい理由が判明、日本で歴史の授業は選択科目だった

韓国のテレビ番組。
韓国人「中国では歴史の授業は必修ですか?」
中国人「必修です。」
韓国人「日本では?」
日本人「小学校・中学校では必修。高校では選択科目。高校では第二次世界大戦前までしか学習しない。」
中国人「被害者である我々は歴史の授業が必修なのに、加害者である日本はなぜ学ばないのか?」




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記録に残る日本軍兵士の異常な強さ

現代の抗日ドラマでは、中国兵が一人で大量の日本兵を殺したり、投石で戦闘機を撃墜したりするシーンをよく見かける。

が、実際の日本兵は、米軍も舌を巻くほど強かった。
マッカーサーが部下と交わした会話の記録にこう残っている。

「日本兵はドイツ兵より獰猛な獣だ。対峙する際は3倍以上の兵力で挑むように」

日本軍の異常な強さが窺えるだろう。

第二次大戦では、日本軍の装備は決して良くはなかった。しかし、団結力と兵士一人一人の強い戦闘力で連戦連勝した。

その強さの証拠の一つとして、太平洋の戦場では、米軍の投入兵力に対して、日本軍は平均してわずか1/5程度の兵力で戦っていた。1人の日本軍兵士に対抗するために5人の米兵が必要だったということだ。




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もし国共内戦がなければ西日本は中国の領土だった

もし我々が内戦に一生懸命になってなければ、ソ連よりも早く日本に上陸することが出来ていた。
共産主義も台頭せずに、素早く発展の道を歩めていただろう。
改革で餓死することもなく、何千万人が死なずとも済んだ・・・

もちろん、歴史に「もし」はないんだけどさ。




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もしかして中国の歴史って5000年じゃなくて70年なのか?

それだと、万里の長城、四大発明、シルクルード、始皇帝、高祖は私たちと一切関係なくなる。
日本が侵略したのも私達と無関係の別の国だった。
なんだか悲しく感じる。
我々の先祖は一体どの国の人だったのか?




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日本人のことを鬼子と呼ぶようになった理由

日清戦争の前、清の大臣・李鴻章が使節として日本に行った。
会談が終わって、双方が合同記者会見を行ったが、日本人が世間に武力を誇示する上に、文化上でも清朝を侮辱したかった為、記者が集まると日本側が関係のない問題を提示した。

「日本に対聯の前の句があるが、下の句がない。だから漢文の生まれの地の人に頼みたい。」

と、上の句を出した。

「騎奇馬、張長弓、琴瑟琵琶、八大王、并肩居頭上、単戈独戦」

この日本の前の句の意味は:日本は、兵隊が強く、千里を走れる馬に乗り、使ってる弓の射程は長く、八人の王がいて、彼らは傑出した知恵と遠大な計略を持っていて、文徳を示し武力を見せる。だから日本は中国に勝てるだろう。

これに対し、李鴻章も弱みを見せず、日本にすずりや墨を用意させ、紙を敷かせた後、下の句を書いた。

「倭人委、襲龍衣、魑魅魍魎、四小鬼、屈膝跪身旁、合手擒拿」

記者たちが見て、素晴らしいと評価した。
その意味は:やはり倭寇だ。清朝の龍服を盗みに来たのか。兵は強く馬も頑強というが返り討ちにしてみせよう

それから、みんなは日本人を倭寇と呼ばなくなり、四小鬼を元に「鬼子」と呼ぶようになったそうだ。




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何で中国は日本への賠償請求権を放棄したんだっけ?

本当に心が広すぎないか。




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